泊まって、感じて、Lohasっていいね スーパーホテル

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環境は、人の心も変えていく。

山本
野口さんといえば、やはり富士山やエベレストでの清掃登山が、世間に大きなインパクトを与えましたね。山を清掃しようと思われた、そのきっかけは何だったのでしょうか。
野口
初めてエベレストに登ったのが23歳の時だったでしょうか。それまでは写真で見る、美しい山の風景しか知らなかったのが現地へ行ってみると全然違う。何よりもゴミがあちこちに落ちていることがショックでした。
山本
どういうゴミが多いのですか。
野口
人が生活するわけですから、あらゆるゴミが出ます。しかも氷河湖なので分解されることなく溜まり続けますしね。僕が拾った中で一番古かったのは、1950年代のスイス登山隊のゴミでした。
山本
なぜスイスだとわかるのですか。
野口
食品のパッケージなどがそのまま残っていますから、どの国のゴミなのかが一目瞭然なのです。最初は「汚いなあ」で終わっていたのですが、よく見たら漢字やカタカナなど日本隊のゴミも多くて。色々な国の人に日本のゴミが多いことを非難されたし、悔しいから拾い始めたというのが本音です。
山本
清掃登山を富士山でも展開されたのはなぜでしょうか。
野口
エベレストで「お前達はここをマウントフジにするのか」と言われたんです。僕ら登山家が富士山に登るのは冬だけで、雪と氷に覆われていますからゴミなんか見たことがなかった。エベレストから帰って、初めて夏に富士山に登ってみると「なるほど、こういうことか」と。
山本
それほどひどかったのですね。
野口
下山するとすぐインターネットで調べて、富士山の清掃活動をしているNPOに連絡を取りました。彼らと一緒に、まずは青木ヶ原樹海から片付けていったのです。1999年頃の話ですが、その頃の樹海は本当にすごかった。林道の両脇は不法投棄の山です。凄まじいものがありました。
山本
青木ヶ原は国立公園ですよね。なのに…。
野口
本来、樹海は森ですから気持ちがいいはず。しかしゴミがあると空間が淀んで重いんです。自分の心もダメージを受けますね。ゴミがあると人も空間も枯れていく…世界中でゴミを拾ってきましたが、どこでも同じことが言える気がします。
山本
私共が環境活動を始めた時、まさにそう感じました。きっかけは水俣市のホテルです。ご存じのように水俣病で世間を騒がせた公害の街で、2001年に環境モデル都市宣言をしました。その時、私共にも協力が求められて…決して能動的に動いたわけではないのですが、ある日、私はハッとしました。ゴミを分別し、街をきれいにする中で、水俣市民の表情が明るくなり、街全体に活気が出ている。環境活動の大切さに初めて気づいたのです。
野口
きっかけってそういうものですよね。やってみると、そこから見えてくるものがあり、広がっていく。この活動を始めて18年目になりますが、最初は人が全然集まらず、ゴミをなくすなんて半永久的に無理だと思っていました。しかし今は全国から何千人というボランティアが参加してくれて、おそらく年内には「青木ヶ原のゴミはゼロになる」という宣言が出せそうです。
山本
それは素晴らしい!
野口
環境の「環」は「わ」とも読みますよね。人と人との「わ」を広げていくことが環境活動ではないでしょうか。自分だけでは何もできなくても、いかに皆を巻き込んでいくか…それが大事だと実感します。

地方を元気にすることが、国を元気にする。

山本
野口さんは、ゴミ清掃だけでなく「次世代の育成」にも力を入れておられますね。
野口
ネパール・サマ村に学校を作るプロジェクトですね。2005年、マナスルという山に登ったのですがベースキャンプを置いた村が本当に貧しくて、子供達は自分の民族の言葉だけでネパール語も話せない。僕がシェルパを通じて「君の夢は何?」と聞いたところ、「夢って何?」と言うんです。夢という概念は、本を読んだり、勉強して世界を知って、初めて芽生えてくるものだと知りました。
山本
貧しい地域では、子供は労働力ですからね。学校を作るにあたって抵抗はなかったのですか。
野口
ありましたよ。学校なんかに取られたら誰が畑や牛を見るんだと。学校を建てても村人の理解がなければ意味がないので、まずは清掃から入りました。3〜4年、清掃を続けていると明らかにゴミがなくなってきて、子供達の下痢も減るんですよ。その頃から少しずつ心を開いてくれて…「あんたの言う学校を作ろう」と言ってくれました。今や、高校や大学に行きたいという子も出てきましてね。
山本
そういう子がまた村に戻って先生をやってくれればいいですね。
野口
それがベストなのですが、ネパールでは一度村を出たら若者はなかなか帰ってこない。そうしてどんどん田舎が過疎化しているんです。
山本
地方が疲弊しているのは、ネパールも日本も同じなのですね。スーパーホテルもこれからは「地域創生」に貢献していきたいと考えているんです。地方が元気にならないと、若い人も集まってきませんから。
野口
どのように地域創生をサポートされているのですか。
山本
要請があれば、可能な限りホテルを出店することです。例えば2015年、島根県江津市に開業した「スーパーホテル江津駅前」。高齢化が進み、人口が減っていく地元にもっと人を呼ぶためにホテルが必要だと、出店要請を受けました。
野口
リスクといえばリスクですね。
山本
はい。最初は不安もありましたが、結果的には出張ビジネスマンや、帰省する家族などで90%以上の稼働率を維持しています。私共が出店することで、周囲には飲食店が増え、商店街も賑わいを取り戻したと言われています。
野口
やはり地域活性には、拠点になる場所が必要ですよね。何かイベントを計画しても、人が泊まれないとできないし。
山本
このご時世ですから、東京や大阪にホテルを作ったら流行ります。けれど一極集中化で地方が疲弊してしまうと、多様性のある素晴らしい国はできないし、何より一次産業に元気がなくなってしまう。だから環境活動をテーマに、日本中を元気にするのが私の「夢」なんですね。

「やる」よりも「やり続ける」ことが難しい。

山本
山の清掃活動、次世代の育成に加えて、野口さんは震災支援にも取り組んでおられますね。東日本大震災、ヒマラヤ大震災、そして熊本地震。その行動力とバイタリティには心から敬服します。
野口
熊本地震の際には、登山家としての経験を生かして被災地に「テント村」を作るプロジェクトを立ち上げました。プライバシーを確保できなかったり、車中泊を余儀なくされている被災者のための、避難所の1つのあり方を提案できたのではないかと思っています。海外から見ると、日本の避難所は先進国の中でも最低レベルなんだそうです。
山本
ただでさえ不安な被災者の方々が、快適に過ごせる環境づくりは人道的にも当たり前のことなのに…。私共も東日本大震災の時は、仙台の店舗でロビーを開放し、毛布や水を提供して非常に喜ばれました。これは現場の判断でやったことで、私は後から知ったんです。閉めてしまったホテルも多かった中で、よくやってくれたと嬉しく思っています。
野口
ルールやマニュアルに頼っている企業はいざという時に弱いものです。その点スーパーホテルさんは、しなやかで逞しい。
山本
私共が目指す「エクセレントな企業」は、まず社員がエクセレントであることが必要なんですね。社員がキラキラと輝いて働かなければ、お客様も満足してくださいません。そのためには、一人ひとりが常に感性と人間力を磨き、自分で考えて行動できるようにならねばと私は思っています。ちょっと自慢になりますが(笑)、うちのお客様は70%がリピーターなのです。
野口
それはすごい。富士山と違いますね(笑)。富士山はたくさん来るけどリピーターが少ないから。
山本
けれど清掃活動は何度もリピートする人が多いのではないですか?
野口
それはそうですね。小学生の時から参加していた子供が、大学生になって戻ってきたり。最初に富士山清掃をした時から、もう18年経っていますから。
山本
奇しくも私共のロハス活動と、ほぼ同じくらいですね。野口さんが、これほど長く活動を続けるモチベーションは何でしょうか。
野口
モチベーション…何だろう。色々な活動を幅広く同時にやっているので飽きないのかもしれません。何か煮詰まっても、ちょっと離れて別のことをする。すると物事が客観的に見えてきて、解決の糸口が発見できたりします。山本会長のモチベーションは、どこにあるのですか。
山本
何よりもお客様の言葉ですね。お客様の喜びが、私の生きがいであり、やりがいです。この仕事をしていると、感謝がパワーなんだとつくづく感じるのです。
野口
「やる」ことと「やりぬく」ことは、また違うじゃないですか。始めるより、続ける方が何倍も大変です。お互いに、長いスパンで無理せずにやっていきたいものですね。
山本
その通りです。本日はありがとうございました。

アルピニスト 野口 健(のぐち けん)

1973年、アメリカ・ボストン生まれ。亜細亜大学卒業。植村直己の著書に感銘を受け、登山を始める。1999年、エベレストの登頂に成功し、七大陸最高峰最年少登頂記録を25歳で樹立。その後、エベレストや富士山に散乱するゴミ問題に着目して清掃登山を開始。2008年にはネパールの子供達のために学校を作る「マナスル基金」を立ち上げ、校舎や寮、グラウンドなどを建設。さらには東日本大震災、ネパール大地震、熊本地震でも支援活動を展開。近著に『世界遺産にされて富士山は泣いている』(PHP研究所)『震災が起きた後で死なないために』(PHP研究所)などがある。

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